こんにちは!今回はロードバイクで行った、雄山神社芦峅中宮祈願殿までの旅路を綴りたいと思います。立山信仰の中心地であるこの神社は、豊かな自然に囲まれた静寂と神秘が漂うスポットです。そんな特別な場所にロードバイクで訪れた様子をお届けします。少し疲れた体に癒しとパワーをもらえた素敵な一日となりました。
- 雄山神社 芦峅中宮祈願殿のご由緒
- 境内や拝殿の様子
- 立山信仰について
雄山神社 芦峅中宮祈願殿について
雄山神社芦峅中宮祈願殿は、富山県立山町芦峅寺に位置していて、立山信仰の拠点として知られています。かつては中宮寺(芦峅寺)と呼ばれ、神仏習合の施設として機能していました。立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、開祖の佐伯有頼によって開かれたとされています。明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列せられ、現在は神社本庁の別表神社としてその格式を保っています。
ご由緒
ご由緒は古くて、文武天皇の大宝元年(701年)にまで遡ります。創建の伝説によると、越中国司の佐伯宿禰有若公の嫡男である有頼少年が、白鷹と黒熊に導かれて立山の玉殿岩窟に至り、雄山大神から神託を受けたことがきっかけとされています。この神託に基づいて、有頼は立山を開山して後にこの地に神社が建立されました。
歴史的には鎌倉時代以降に多くの信者が訪れて、特に武将や公家からも深い崇敬を受けました。源頼朝や足利義材などの有力者によって保護・造営されたことも知られています。
- 主祭神:伊邪那岐神と天手力雄神を主祭神として祀っています。
- 合祀:雄山大神を始めとする立山山中36社の神々が合祀されています。
- 女人禁制の最終地点:立山信仰において、女性が立ち入ることができる最終地点でした。
- 建築様式:建築様式:入母屋造りであり、寺院様式を取り入れています。
伝統的形式の手水舎
手水舎の水は、1キロメートル山奥にある水神社境内から湧き出る岩清水が使われています。横には、映画「剱岳」のロケ現場として採用された説明の案内板が設置されています。
自然の清水で心身を清めましょう。
この近辺は熊の出没が多いので、十分注意して歩く必要があります。よく、熊に出会うと幸せになれると聞きますが、さすがに危険すぎてちょっと会いたいとは思えません。
立山信仰の中心地として長い歴史を持ち、手水舎もその一部として重要な役割を果たしてきました。
神聖な雰囲気漂う参道
参道には樹齢約500年の立山杉が立ち並んでいて、これらの木々は天然記念物として保護されています。参道を歩くことで、立山の神気を直接感じることができます。
厳粛な雰囲気に包まれた、心落ち着く気が流れています。
境内
立山杉の木立が深い神気を感じさせます。かつては多くの伽藍が並んでいましたが、明治時代の廃仏毀釈により多くが破壊されて、現在は講堂が祈願殿として残っています。
自然と調和した美しい景観が広がっています。
祈願殿
建築様式は「坊造り」と呼ばれる形式で、宗教的な機能と宿泊施設としての機能を兼ね備えています。左側には家人の日常生活の間、右側には参詣者が宿泊するための客室が配置されています。
北陸最大の五間社流造で、国指定の重要文化財にも指定されています。
立山信仰について
立山信仰の起源は701年(大宝元年)に遡ります。江戸時代には立山信仰が庶民にも広まって、多くの人々が登拝するようになりました。参拝者たちは「仲語」と呼ばれるガイドと共に神聖な道を歩いて、精神的な浄化を求めました。明治時代になると女人禁制が解かれて、女性も登拝できるようになりました。そこから立山信仰はさらに広まって、多くの人々がこの霊峰を訪れるようになりました。
- 「擬死再生」の概念:参拝者は一時的に死を経験し、その後生まれ変わるという信仰が根付いています。
- 立山曼荼羅:独自の信仰体系を表現した絵画で、生と死を疑似的に体験する儀式に関連しています。
- 白装束と目隠し:参拝者は白装束を身にまとい、目隠しをして橋を渡ることで「死」を体験し、その後地獄に見立てた立山へ入るという伝統があります。
立山の自然や文化、信仰について学ぶことができる「立山博物館」が隣接されています。博物館内には「まんだら遊苑」や「遙望館」といった体験型の施設もあり、訪問者は五感で立山の魅力を体感できます。
おしまいに
今回のライドは立山信仰の重要な拠点として長い歴史を持った雄山神社中宮祈願殿に参拝しました。自然と神聖な存在とのつながりを感じさせるスポットで、心身ともに安らいだひと時を過ごせました。立山黒部アルペンルートの玄関口として多くの観光客も参拝に訪れる神社は、地域の発展と文化継承に大きな役割を担っていることが理解できました。
最後までご覧いただき有難うございました。
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